浜崎左髪子と國友シゲヨ

浜崎左髪子(さはつし、と読みます)は、昭和期の広島の美術を語る上で欠くことのできないキーパーソンの一人。日本画家としてだけでなく、エッセイスト、デザイナーなどの側面も持つマルチプレイヤーでした。ギャラリー瓦全房としても強い関心を持ち、収集や調査を進めています。

初代瓦全房主人・小野鉄之助の義母(夫人の母)國友シゲヨは、戦前の広島で日本画家としても活躍しており、左髪子とも面識があったそうです。シゲヨの夫・國友國(小野鉄之助の義父)は陸軍病院の院長も歴任した人物で、落合朗風の画業を支援したパトロンでもありました。

國友夫妻は原爆で被災したのち、尾道に転居します。シゲヨはその後、尾道の日本画家・森谷南人子とも親しく交流しました。小野鉄之助の親族である國友家の人々もまた、広島や尾道における美術史の流れの中に重要な足跡を残しているのです。

写真は、國友シゲヨ《清韻》、昭和11年の第3回明朗美術展出品作です。当時広島で刊行されていた文芸雑誌『實現』に掲載されています。